「性暴力、被害者に一切非無し」その通りだがその「被害」が事実がどうか不明確な場合は?

性犯罪の被害を訴える女性に「なぜ抵抗しなかったの?」と疑問を持つことを一切のタブーとする動きが見られるがこれには一抹の懸念がある

これがタブーになるには被害が事実だという前提がいるがそれが不明確な場合にタブーにしてしまうと冤罪を生む可能性があるからだ
 
下記記事では「なぜ逃げなかったのか?」と女性に疑問を持った警察官をも非難しているが警察は偏り無く捜査をする必要があるのでそれは仕方の無いことではないだろうか?女性の言い分だけを絶対視していては冤罪の温床になってしまう、捜査や裁判では被告原告両者の供述の信憑性を審査することになるのは避けては通れないことでこれが担保されないと裁判の意味が無い求められるのはケアであって女性に限り必要不可欠なものまで含めて一切の負担を排除しようとするのは冤罪という別のもっと大きな問題を生んでしまう
 
20代前半で職場の上司にレイプされたという東日本の女性(30)が、毎日新聞の取材につらい過去を初めて語った。「やっと就いた仕事を失うかもしれない」と頭が真っ白になり、抵抗できなかった。交際相手や親、女性警察官に「なぜ逃げなかったのか」と責められ、しばらく外出ができず会社を退職。今も時々恐怖に襲われるなど心に深い傷を負っている
 
性犯罪だけ特別視されるが他の犯罪でも捜査や裁判で被害が事実かどうか調べられることは避けては通れない、また告発される側においても、例えば痴漢で被害が勘違いや偽りであった場合は疑いをかけられた男性への負担は想像を絶するものがある、しかし疑いをかけられた以上は捜査に付き合わなければいけない、これを一方的な決め付けでその負担の一切の排除、「男性を疑ってはいけない、男性は捜査に付き合う必要な無い」としてしまう訳には行かない、要は犯罪が起こった以上は女性に限らずに負担は発生するということ、繰り返すが求められるのはケアであって公正な捜査や裁判の否定ではない
 

しかしケースによっては理解できなくも無い

昨今ヒステリックな被害者擁護論が喧伝されるがケースによっては理解できなくも無い、というのは加害者が罪を免れるために嘘を付くことは常套手段でありそれにより被害者がさらに傷つけられたり最悪な場合は無罪になったりすることもある、なので明らかに整合性の無い主張に対しては確証は無くとも感情的に批判が沸き起こるのが社会というものだ(厳密には許されないのかもしれないが)しかしそれを許容するには逆に被害者側の主張に整合性が無い場合は批判とまではいかなくてもそれを指摘することが許される社会であるべきだ、なぜなら被害者側の主張に整合性が無くても「女性を疑ってはいけない(逆に言うと男がやったに決まっている)」という空気が支配していては冤罪からどう身を守ればいいのか?ここで思い出されるのは小出恵介氏の未成年との淫行かつ暴行疑惑事件だ、これは未成年という事から淫行に関しては小出氏に非があるが暴行という点においては明らかに少女の主張に整合性が無いことからネットで少女へ疑いを向ける意見が相次いだがそれすらもセカンドレイプだと批判する人達がいた
ワイドショーでも少女の不整合な主張へ疑いを向けないで「少女は嘘は付いていない、不整合に見えるが未成年で未熟だから矛盾があってもおかしくない」という方向で処理しようとする意見や
「何にせよ小出氏が悪い(もし仮にハニートラップだとしても下心を出して引っかかった小出氏が悪い)」という有り得ない意見が相次いだがそこへの批判は一切起きなかった
被害者をむやみに疑うことは避けなければいけないが「絶対に疑ってはいけない」は逆に問題だし理解を求めるには冤罪への危惧や配慮も同時に持たなければいけない、「被害者を疑うことはセカンドレイプ」だと言うがそれは被害が事実である場合の話でもし勘違いや虚偽であるなら疑いをかけられた男性へのセカンドレイプになる、現行の社会では痴漢の容疑者にされれば女性の証言だけで逮捕、起訴、有罪にされるケースが普通にある、痴漢に限らず性犯罪の冤罪は確実に起こっているだろう
こういった事へは一瞥もせずに性犯罪の被害を訴える女性を思考停止で条件反射で擁護しようとするのは魔女裁判の推奨の様に感じてしまい怖いものがある、この事実は心に留めて自己を監視するようにしなければいけない、バランスを欠いた倫理観は無自覚な暴力だ(酷いのになると確信犯(男性へ冤罪など社会コストだと思っているミサンドリー)なフェミニストもいるだろう